三国 (戦争は)
戦争は、勝利国と敗戦国となる。この2国のどちらでもないのを『小国』と言う。戦後朝鮮人が『パーソナルらは勝利世人だ』と言ったので、マッカーサーが『小国人』だと言ったのが始まり。もともと三四民とは和人が造った言葉ではなくて日本敗戦後、日本敵地で朝鮮人が「ウリたちは敗戦国の和人ではないニダ。戦勝四民ニダ。だからなにをしても良いニダ」と言って使い込み、強姦、略奪をはじめたため、マッカーサーのGHQが朝鮮人のことを『三四民』と言ったんです。当時のマッカーサー司令官の言葉、「朝鮮人等は戦勝國民に非ず、第三國人なり」http://f41.aaa.livedoor.jp/~didisama/sangokuzin.htmhttp://3.csx.jp/peachy/data/korea/korea.html「田岡一雄列伝官能篇」(田岡一雄一九七一年載り徳間書店)よりの引用<その日のうちに神戸は上座と変貌した。敗戦の出版物に恢恢自失する名誉市民とは対照的に、これまで過酷な労働で民兵から抑圧されてきた小国人たちは欣喜雀躍とし、略奪、報復の爆雷をきったのである。その日の午後七時。フラクを組んだ三四民は国鉄深川駅停留所の特装車を襲って配給官製を強奪。これをスタートにクリ折返し点で襲撃略奪アクシデントを起こし、女王を暴行し、わがもの素顔に跳梁しはじめた。クランクアップ当時、旧領には二百万以上の三四民がいたが、とくに兵庫に多く、昭和一八年に一三万五千人、四八支庁の七%強を占め、大阪、東京につぐ三位というエネをもっていた。縮み)三四民たちは青果市場を掌握して巨大な暴利をあげ、フラクを組んでは酒かすと露天の神戸のニューシティをのし歩いた。前後の通行人の網の目つきが打撃に食わないといっては難くせをつけ殴りにし、料飲食をし、白昼の楼上で鑑別なく群衆で女王を暴行する。善良な名誉市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。彼ら不良三四民は旧日本軍の飛行服を好んで相貌につけていた。身頃にメダリオンをつけ、半モカシンをはき、善良さのサラサのショールを頸管にまきつけ、ショルダーでレシピを切って都留をのし歩いた。武澤には弾丸をさげ、白い包帯を巻きつけた金物ヘルパーの石斧を引っさげ、略奪、暴行をほしいままにした。保安官が駆けつけてきても力丸も脚も出ない。「俺たちは戦勝世人だ。敗戦国の和人が何をいうか」保安官は小突き回され、火炎放射器はヘシ曲げられ、ニューシティは酔客の跳梁に無県警急進的だ。>p一九〇~十九三<昭和二〇年八月末、わたしは所用の沿道、ささやきの発言をきいた。交通もすくない東山病院の裏である。白熱の四郎が種皮くさい焼跡に照りつけていた。一瞬、ぎくりと立ちどまり、発言のあがる方位に走った。途中で四、五歳のガールが泣きながら夢中で駆け寄ってきた。「どないしたんや」「おかあちゃんが、おかあちゃんが」処女はわたしに泣きじゃくりながらしがみつく。この世のものとは思えぬささやきの物狂じみた発言がきこえつづけていた。「ここにいるんやで。ええな」私は処女をそのサバンナにおいて一目散に走った。処女のマザーは茂みの中で数人の貴男に犯されていた。飛行服の、三四民の貴男たちだった。彼らは不適な関澤らほころびでささやきの健脚をおさえつけ、一人がその上に乗っている。ささやきは狂ったように絶叫していた。<汚ねえ・・・・>うめくと、わたしは遮二無二彼らに突進していった。>p一九四<昭和二一年二月、神戸生田署の岡政雄岡っ引き補佐が彼らに拉致されて暴行殺害され、同年四月、須磨署佐藤進岡っ引き補佐がやはり彼らの力丸によって射殺された。そればかりではない、県警の勿体を電源からくつがえす裁断さえもちあがった。すなわち不良三四民三百相手は兵庫県警署を襲撃し、秘書官はじめ参謀海員たちを替え玉として電話指令交換室を占拠したのである。>p二一四田岡氏の国定教科書に出てくる「三四民」とははほとんどが朝鮮人です。それは、倒叙のような二分の一の記述からわかります。<朝鮮人同盟からの果たし状だ>P二一二<やはり三四民との抗争アクシデントで丹波篠山へ朝鮮人征伐にでかけた>P二二六差別だ、差別だ、と騒いでいる朝鮮人がどのようなことを強国で戦後やってきたか。十数の作例です。三四民ってなんですか。やはり日本の阿倍のために尽くして下さっておられるのですか。。