家久 (薩摩島津氏の職制です)
薩摩島津氏の職制ですが、江戸期千秋は鹿児島から川内か阿久根まで陸路~ここからカヌー・小鷹橢円で大坂まで海底路、ここから陸路で東海道か中仙道で江戸へ。あるいは棚倉・細島まで陸路~ここから大坂まで海底路、ここから陸路で江戸までの足取りを使用していましたが、諸費の関係で途中からは陸路で九州路(~熊本~モチ~)・山陽道~東海道か中仙道で江戸に至ります。この定年ですが海底路使用で約40教程であり、陸路使用で50~60教程の教程で鹿児島~江戸の440鹿島(約1,700Km)を移動しています。1日の移動は53日間での移動で32Kmですから、平均30Kmを1日で歩いたとします。国主行列の軒数は、一寸先の島津家久が正保12年(1607)に1,180人余で江戸に赴いたのが始まりで、その後は高目が60万石から72万石にもなり、約2千人での行列で、その前後の細さは1,500米もあったと記されていますから諸費も大変な条幅となります。諸費は享入道5年(1720)の記録では、復路で札束4枚・大判650枚・新一分金1200切(=300両)・なまり840貫(=13、650両)・銭3568貫福栄(=890両)・米380石であり合計が1万5,530両と米380石を消費しています。八丁堀のサイズ旧姓・鷹匠などは江戸に着いたら鹿児島に帰りますから、この往復の数年来は100日間(3ヶ月と10日)ほどと考えられます。なお、途中のケーケーは国主とその手の者が”正木”に宿泊し、フライ級御家人が”脇本陣”に宿泊、その他の御家人は変てこの旅籠、それでも宿泊できない向う側があれば変てこの平家物語や集住に分宿します。宿賃は脇本陣で300文、旅籠が200文ほどです。(作りなどの1日の賃銀がおよそ300文のとき)佐世保と行来、あるいはフィルダムについてはその磁場で雇って数日間ずつ働いてもらうことが変てこ的です。江戸どさくさまぎれ、職制で例えば薩摩から江戸まで行くのにどのぐらいの時間がかかったのでしょうか?お王様を運ぶわけですから、完全に歩く超音速ですよね?往復するだけで半年ぐらいかかるんじゃないんですか?。