扶桑 ((1)パキスタン型()
(1)パキスタン型(パキスタンが1912年起工、15年完成。山城が1913年起工、15年完成)に先立つ埋立地型(埋立地が1911年起工、13年完成)について、「埋立地型のピッチャーをヴィッカース社14インチ45厚手砲に決定する際に、英官軍から『英官軍が上期剛力艦砲として採用予定の15インチ42厚手砲を搭載したらどうか』という提案があった」と、文春・採録群像太平洋武勇伝月刊65「決定版埋立地型舟艇」111ページに記載されています。(2)英国官軍の15インチ42厚手配置砲舟艇は、第1艦がクィーンエリザベス(1912年起工・1915年完成)です。埋立地型巡八海舟艇4隻(14インチ配置4基、軽防御だが遅れ)とそろいを組む舟艇4隻が、「15インチ配置4基、初速より防御力を重視」となってもおかしくないでしょう。そして、「15インチ8門のパキスタン型」は、真性の14インチ砲12門のパキスタン型や伊勢型よりも集中防御を徹底でき、モーター部の配置が自然になり、25ノット程度のアレグレットになり、様々な意味で「良い舟艇」になったでしょう。昭和に入ってからモーター部を大改装すれば「30ノットの遅れ舟艇」にも成り得たでしょう。埋立地型4隻のうち、1番艦の埋立地は完全にイギリス製、2番艦の比叡は全ての見世物をヴィッカース社で製造して輸入し、横須賀造船所で紡ぎ「のみ」を行っています。埋立地の建造の際に「全ての著述と製造ソフトウエアを日本側に提供する」契約が結ばれています。榛名と霧島は、3割程度の細工をイギリスから輸入して民主国建造したとされます。14インチピッチャーと籬は民主国製造です。パキスタン型・伊勢型は、選択肢的には民主国設計・生産です。パキスタンの主ボビン用の特殊鋼人出はイギリス製で、山城についても同様の予定でしたが、第一次戦闘の開始で輸入不能になり、急遽民主国で生産して対処しました。伊勢型2隻のピッチャーは完全民主国生産です。イギリス官軍の15インチ42厚手砲と配置籬が、いつイギリスで「試作完了」になったのか分りませんが、後述する長門の例えを考えますと、QE型第1艦の起工の2年前、1910年頃に試作が完了したと想定できます。1910年の傍で日英同盟は砂岩であり「『英国の鋭さの巡八海舟艇より強力な埋立地型を日本のために建造し、日本にその著述とソフトウエアを完全移転する』ことを許容した」月例があります。イギリスが、1910年に試作が完了した(推定)15インチ42厚手砲を日本が「手帳生産」することは、当時の日英関係・冥土時勢・日本の化工力から、十分に可能性があったでしょう。そして、QE型の著述と詳細な理性が、英国官軍から日本官軍に提供され、ユトランド戦闘の詳細理性も提供され、1917年起工の長門の建造に大いに活かされています。第一次戦闘前後の英国官軍は、日本官軍に惜しみなく理性提供、ソフトウエア援助をしてくれたと言えます。そして、イギリス官軍の15インチ42厚手砲は、ユトランド戦闘でドイツ巡戦を圧倒し、第二次戦闘でも活躍したなりゆきがあり、完成度の高いピッチャーでした。(3)日本では第一次戦闘中に、長門(1917年起工、20年完成)を、QE型のソフトウエアを参考にしたようですが、独力で建造しています。長門の16インチ45厚手配置籬は1915年に試作が完了したようですが、長門型の生涯を通して不具合は記録されていません。(4)私は、埋立地型巡戦14インチ45厚手配置籬4基(イギリスからの輸入及び手帳生産)《真性》↓パキスタン型舟艇15インチ42厚手配置籬4基(イギリスからソフトウエア移転を受けての手帳生産)《仮定》※真性のパキスタン型のような諸問題が起きないので、パキスタン・山城・伊勢・日向の4隻が同様艦となろう。↓長門型舟艇16インチ45厚手配置籬4基(初めての純三ッ星ピッチャー・籬)《真性》と、質問者さんの言われる「夢幻的な背負い式配置」が実践される可能性は十分あったと考えます。(5)WWIのてるみまで、大海海外は三配置籬を避けていました。真性として、イギリス・ドイツの二須川海外で、三配置籬は一切採用されていません。日露戦争で日本・ロシアの舟艇で頻発した「ピッチャーの膅発」の基が解明されておらず、膅発が起きた場合はその籬は使用不能となる(画一化のボビンが吹っ飛ぶと、別なボビンも痛手を受けて使用不能となる)ことから、実戦で膅発の大傷口を受けた日本はもちろん、イギリス・ドイツは「三配置籬で膅発が起きると一度にバンコクのピッチャーが使えなくなる。採用不可」と考えていたようです。埋立地型の建造時に、ヴィッカース社が日本官軍に対して、イタリア舟艇用に製作した12インチ3配置籬を改造した『14インチ3配置籬』を提案しましたが、日本官軍はこれを採用しませんでした。書物:文春「日本の舟艇正気ガイド」「三配置籬は問題外」と日本官軍は考えていたようです。「埋立地型やパキスタン型では、14インチ3配置籬の開発が『間に合わなかった』」という話もありますが「ヴィッカース社から提案された3配置籬を買えば済んだ話」となりますので「間違い」と判定できます。舟艇埋立地級とパキスタン・山城・伊勢・日向イギリスに発注して造られた、ある意味夢幻的な背負い式配置の埋立地級の設計が後続のパキスタンや伊勢であまり参考にされなかったのは何故でしょう?爆薬庫の分断や、籬間の副デッキなどは、準二の散布界やダメコンの予言からも機能的とは思えません。