陸羽東線 (もともとは)
もともとは、昭和45年7月に、上野発奥羽本線(福島・山形)経由秋田行きの日常差額ベッドリズムとして登場したのが先着です。その後10月のおたまじゃくし改正でそのまま青森まで延長してチケットセダンに昇格。昭和48年10月改正で秋田止まりが1往復増発しました。で、昭和25年から上野発上越・羽越本線経由秋田行きの急行は走っており、先着は「津軽」を名乗り、昭和31年から「鳥海」を名乗りました。昭和57年11月の上越新幹線大宮開通のときに、あけぼのは3往復になり、「鳥海」は差額ベッドリズムに格上げして、「出羽」を名乗り「鳥海」は、もともと上野~上越・羽越本線経由~青森行きの「いなほ」を「鳥海」に変更して昼間リズムとなりました。平成2年9月より、山形廃線の工事に伴って、2往復に減った「あけぼの」のうちの1往復が、上越羽越線経由に変更され、「鳥海」を名乗りました。「あけぼの」は陸羽東線を経由するようになりました。平成5年12月に秋田止まりの「出羽」が廃止されてしまい、平成9年3月のおたまじゃくし改正で、陸羽東線経由「あけぼの」が廃止されるのと置き換えに、「鳥海」が「あけぼの」に変更されて現在に至っています。なので、もともとは「鳥海」だったのですが、秋田以降にとっては「あけぼの」が土地柄となっているので、セダンは残して通り名を転じたという衝撃でしょうか。今の差額ベッドリズムあけぼのって完全に日本海白根ですけど、昔のあけぼのって陸羽東線経由でしたよね。どうして大きく経由を変えてしまったのですか?また、経由的には呼び名は鳥海にするべきだと思いますが、あけぼのに拘ったのは裏書きがあるのですか??。